FDMY 防災ユースフォーラム


「私の災害ボランティア活動」 (第一回)

投稿者: kurata, カテゴリー: RENSAI✕BOUSAI

谷永 誠(かながわ311ネットワーク スタッフ/会社員)

私は現在、かながわ311ネットワークの災害・復興支援事業担当として、主に宮城県の復興支援活動を行っています。今回の連載ではその紹介とこれまでの活動についてまとめていきます。

=かながわ311ネットワークとは・・・=
かながわ東日本大震災ボランティアステーション事業(神奈川県・神奈川県社協・NPO法人神奈川災害ボランティアネットワークの3者協働事業)で事務スタッフ、ボランティアスタッフなどで関わってきたメンバーが協働事業終了後も継続的に被災者支援を行なっていきたい、という想いから設立した団体です。

◆自分には何かできないか
東日本大震災から災害ボランティアとして活動してきました。まだ小さかった頃に起き、テレビで見た阪神・淡路大震災(1995年)や地元である北海道でわりと震源から近いところにいて大きな揺れ経験した北海道南西沖地震(1995年)十勝沖地震(2003年)で自分には何かできないかと考えていたのですが、何もできない自分がいました。次に大きな災害があったら必ず動こう、と思っていました。
そうした中、起きた東日本大震災。本業である職場で、強い揺れに襲われましたが早期復旧を図ることができました。一方、テレビでは、東北各地の信じられないような光景の映像が中継されて流れていました。“自分には何かできないか”また、ふとそうした想いが頭をよぎりました。現地の現状がどうなのか、少しでもサポートを必要としているところへ行こうと思い、現地の道路状況などの情報収集を行いました。

◆初めての現地入り ― 被災者支援に全力で取り組む決心 ―
そんな折、中学の同級生から「親戚のおばあちゃんが見つからない」と電話がありました。いてもたってもいられなく、数日後、同級生に直接話を聞きに行き、震災から2週間後、目的である宮城県石巻市雄勝町までの通行が可能とわかり、車で向かうことになりました。国道を通りながら宮城県に入り、沿岸部へ向かうと見たことのない光景が広がっていました。
雄勝町へ着き、辺りを探し回りましたが、家の基礎のみ残るだけで思い出の品々なども見当たりません。まちの集落がほぼ残っていない状態です。「過去にも同じような災害があっただろうけど、なぜこんなに家が立ち並んでいるのだろう…。家を建てる場所の問題や仕事の利便性などからと、過去の言伝えが伝承されず危険な場所へ家を建ててしまったのだろうか」。今になって気づく点です。
その当時はボランティアセンターがうまく機能していなかったので、自分たちにできることを考え、あたりに散らばっていた写真などの収集を行いました。ふと、2人のこどもが笑顔で写った写真が出てきて“この子達は今どんな生活を送っているのだろう”と胸が熱くなり、そこで、今回の災害はできる限り全力で取り組もうと決心しました。

次回は、初めて現地入りした時の帰り道からとその後の活動についてご紹介します。次回の「私の災害ボランティア活動」にご期待を。



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