FDMY 防災ユースフォーラム


ゆく減災、くる減災。

投稿者: kurata, カテゴリー: 防災・災害

某学会のMLで「減災社会」が連呼されていたので、ついカッとなって書きました。
お前「減災社会」言いたいだけちゃうんかと(笑)
と、いうのは冗談ですけど。

・いま我々が達成すべきは、本当に減災社会なのか?
3.11の前後で、色々なものの価値観が変わりつつあります。
その中で、以前からある「減災社会」というキーワードは、果たしてそのままなのでしょうか?
いや、減災は今でも(むしろ今だからこそ)重要なのだけど。
なんとなく「それだけでいいの?」感が拭えない倉田個人です。
恥ずかしながら「もっと安心できる何かが欲しい」。そんな縋るような思いがあったりします。

・これまでは「地震・雷・火事・親父」だったが、今は他にもっと恐いものがある。
もっと怖いもの。例えば原発でしょうか?
いいえ、それはなんとなく違う気がしますです。
「銃が人を殺すのではない、(後略)」というフレーズを思い出します。
「バカとハサミは使いよう」でも良いですね。
ストレステストすべきは原発そのものではなく、それを扱う人間系の部分でしょう。
だとすると恐いのは人間、というか、人の群が創りだした「社会」というシステムなのでしょうか?

・本当に恐れるべきものは何か。本当の安全安心とは何か。
正体のわかっている相手なら、たとえどんな強敵でも「恐怖で身動きできない状態」にはなりません。
我々は今、はっきり言って膠着状態にあります。
本当に恐れるべきものはなんなのでしょうか。その答えがはっきりしません。
だから本当の安心も見つかりません。
そのような中「減災社会」と言われても、具体的に何をしていいのかよくわかりません。
原発をすべて停止し、全ての沿岸を数十メートルの堤防で覆っても、この不安感は拭えないでしょう。
たぶん。

・安心できない社会、安全でない社会に潜む「恐怖」の正体とは何か。
直感であり論拠は無いのですが、「恐怖を生み出すもの」の正体は、物理的な「モノ」ではない気がします。
自然災害によってメタメタにされ、人災によってワヤクチャにされ、それでも生きんする人たちを嘲笑うようなこの社会。
そうした中に自分たちは生きていて、「明日は我が身」よろしく、自分に何かあったらきっと誰も助けてはくれない。
今がどれだけ良くても、一寸先は闇どころか、「一瞬先はゲームオーバー」なのです。
「災害は待ったなしだから、とにかく災害に強いまちや社会をつくろう!」たしかにそうです。
でも、どれだけ災害に強いまちや社会をつくっても、それ以外の「想定外」の要因で一発KOされて、二度と這い上がれない。
そうした人生を歩んでいるのです。僕らはそれを「もう既に自覚している」のです。

・ゆく減災、くる減災。
さあて。
従前型の「減災社会」をどれだけ推し進めても、僕らの人生にのしかかる「恐怖」を減ずることはなかなか難しそうです。
繰り返しますが「減災社会」そのもののの考え方は、今や益々重要で、国と国民一人ひとりにとっての最重要課題です。
それは間違いありません。
倉田が言いたいのは、「それを補強する何か」の考え方を考えましょうよということです。
「減災社会」に「安心感」をプラスするものはなんなのか。それがみんなで共有できるのか、一人ひとり違うのか。
そもそもそんなものは存在するのか否か。(存在するといいけど)
減災へと向かう日々の道中で、そんなことをちょっとずつ、されど確かに考えておく必要がありそうです。
来るべき「減災社会実現」の日を晴れて迎えるために。


この記事に関連しているかも知れない記事:

コメントする

東日本大震災現地報告会(2011年3月27日)

東日本大震災現地報告会を実施いたしました。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の情報を発信しています(随時更新中)

防災啓発活動


「遊んで学ぶ!地震に強い建物」として、耐震啓発活動に関わらせていただいています(管理人倉田のプロジェクト)。

中国・四川大地震報告会


防災ユース、市民防災研究所、防災サークルFREGが共同で行った、若者による四川大地震の報告会レポートです。

防災ユースパンフレット


防災ユースの活動紹介パンフレット、2011年版です。

防災ユース関連本


倉田ほか、防災ユース関係者も記事を書かせていただきました。