FDMY 防災ユースフォーラム


東日本大震災現地報告会:の報告

投稿者: kurata, カテゴリー: 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

「防災ユースフォーラム東日本大震災 現地報告会
         〜今、私たちにできること〜」

開催日:2011年3月27日(日曜日) 15:00〜17:00
会場:株式会社NHKプロモーション 
主催:防災ユースフォーラム
協力:株式会社NHKプロモーション 

■報告者:
岩崎広志(防災ユースフォーラム 代表)
加納佑一(防災ユースフォーラム メンバー)
宇田川規夫(国際救助法研究所)

開会挨拶:千葉崇博(防災ユースフォーラム 関東幹事)

本日は多くの方にお集まりいただき、ありがとうございます。
また、会場をご提供くださいましたNHKプロモーション様には
重ねて御礼申し上げます。
本日は弊フォーラム代表の岩崎ならびにメンバーの加納、
国際救助法研究所の宇田川氏が、先週から先々週にかけて被災地に赴き、
ボランティア活動などを行ってきましたので、
被災地の現場についての報告会を開催させていただきます。

報告1:「福島県 国見町レポート」15:10〜15:40
報告者:加納佑一(防災ユースフォーラム メンバー)

防災ユースフォーラムの加納と申します。
宮城県との県境に位置する福島県伊達郡国見町を訪問してまいりました。

国見町の概要

同町の人口は約1万人程度、町民の4分の1が高齢者(高齢化率26.1%、平成17年統計)です。
ただ高齢化率を他地域と比べれば、他の地域よりは少し低い状況です。
同町の主な産業は農業であり、田んぼや果樹園なども多く見られました。
ただ、今後の農作物に対する風評被害などが生じるのではないかと懸念しております。

国見町の地震被害の概要

気象庁公表によると同町は最大震度6弱を記録してします。
ただ、内陸部に位置するため津波による被害はありません。
現地で伺ったところ、現状で把握されている家屋の被害棟数は22棟とのことでした。
死者はいなかったものの、ピーク時の避難者数は約900人以上にのぼったそうです。
現時点では避難者数は80名程度に減少しているようですが、
自宅が被害を受けたにも関わらず自宅に留まっていらっしゃる方も多く、
そうした方は今後引き続き自宅で生活するのが難しいのではないかと思っています。

全壊している家屋はそれほど多くなかったものの、ブロック塀の倒壊や瓦の落下、
外壁の剥落などが多く見られました。
国見町の周辺地域では砕石が盛んらしく、自宅の塀をブロック塀にしている家屋が多いため
過去の地震でもブロックの被害が目立ち、ブロック塀災害と当時言われていたそうです。
鉄筋が入っていない塀が多く、入っていても十分ではなくて倒れているケースも多くありました。
応急危険度判定で、「危険」と判断され、
夜だけ避難所で生活されている方も多くいらっしゃいました。

避難所の状況

地震発生後、掃除などが行われておらず避難所内に土埃などがありました。
衛生環境という視点では、少し悪い状況でした。
避難所にいらっしゃる方の多くは、高齢者でした。
現地ではガソリンが無いため、例えば自宅の片付けを行いたい場合も
自転車などで自宅まで行かなければならず、移動手段の確保に課題がありました。
ガソリンスタンドにも車の列が出来ている状況でした。

国見町に2箇所ある避難所のうち、もう一箇所の避難所は、
南相馬、新地など、国見町以外の方が避難されていらっしゃいました。
災害用伝言ダイアルに地震直後から電話をかけていたが、つながらず、
地震から1週間経ってようやく繋がったというケースも多くあり、
他の地域の方の安否が分からない状況もありました。
住民の中には、津波の被害により、自宅が流失しており、
今後どうやって生活していけばよいのか不安に感じていらっしゃる方もいました。

国見町のボランティア活動の様子

国見町の役場庁舎は、3年前の平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震により被害を受け、
その後に建てなおされていました。
しかし、今回の地震でも天井板や壁などが落下しており、庁舎建物内は使用できず、
国見町の文化センターへ行政機能を移転されていました。

国見町の社会福祉協議会も、同協議会の建物が被害を受け、
応急危険度判定により「危険」との判定を受けていました。
壁の落下、天井の落下などが散見されました。
社会福祉協議会もまた、国見町内の観月台文化センターに業務機能を移転していました。

私が訪れた時点では、既に国見町の災害ボランティアセンターは開設されていましたが、
机と椅子が並べられているだけの状況で、十分には機能できていない状況でした。
国見町の社会福祉協議会や災害ボランティアセンターの方とともに、
国見町内の学生などを中心にボランティアを募り、町内避難所の一斉清掃を実施しました。
ボランティア募集により、最終的には80名程度の方に参加していただき、
避難所の掃除を行うことが出来ました。

また避難所内では、寝る場所と食べる場所を区分けし、
通路、靴箱の設置を行い、避難所の衛生環境を整えました。
これらの活動は、災害ボランティアセンターが勝手に行うことは出来ないので、
予め避難所内にて住民会議を開催していただき、避難されている方の要望を聞いた上で、
ボランティア活動を行いました。
また、避難されている高齢者の多くは、避難所内であまり動かれていないケースも多く、
血流の改善や病気予防のため、午前と午後の2回、避難所内で体操を行う活動も実施しました。

当初、一般家庭からは要望が挙がる件数は少なかったものの、
国見町の民生委員を通じて、住民から要望を募り、ブロック塀の片付けなども行いました。
しかし、町民の方には災害ボランティアを知らない方も多く、
どういうことを行ってくれる組織かも分からないため、
町民の方からニーズを吸い上げる事が困難でした。
ただ、「要望が挙がらない=ニーズが無い」というわけではなく、特に田舎の場合、
自分の家のことは近隣の方には言わないという習慣もあるため、
ニーズの吸い上げには時間がかかるものと思われます。

ボランティア活動を行う際の課題として、国見町では現時点では、
被害が大きかった地域のみ応急危険度判定を行っており、
被害が軽微だった地域は個々人からの申請に基づき応急危険度判定を実施されていました。
そのため、応急危険度判定が実施されていない家屋に対してボランティア活動を実施する際に、
本当に建物内へ入って良いのか、安全性の確証がつかめないという課題もありました。

また、現時点ではボランティア活動の中心は学生であるため、
今後、学校が再開するにつれ活動の担い手が急激に少なくなるという課題もあるように思います。
国見町のボランティアコーディネーターも現状で2名程度しかおらず、
今後も継続的にボランティア受け入れの調整を行うことは難しいかも知れません。
被災地内の各市町村のボランティア受け入れ体制は、まだ十分に整っていないため、
過去の災害のように外部から一度にボランティアが駆けつける方式が
良いのかどうかは疑問が残りました。
今後は事前に情報収集を行ってから、ボランティア活動を行う必要があると思いました。

報告2:「気仙沼市の様子について」15:40〜16:15
報告者:岩崎広志(防災ユースフォーラム代表)

防災ユースフォーラムの代表を務めております岩崎と申します。
気仙沼市へ訪問してまいりましたので、その際の現地の様子を報告させていただきます。

私は3月16日に東京を出発し、途中、福島市内の一関市に立ち寄り、
3月17日に気仙沼市内へ入りました。
また、3月18日には石巻市へ赴き、その後3月19日以降は気仙沼市へ戻って
ボランティア活動を行いながら、3月22日まで滞在しました。

気仙沼市の概要

気仙沼市の人口は約73000人に達し、同市周辺の大船渡市や
陸前高田市との経済的な結びつきが強い地域です。同市は水産業と観光業が主な産業です。
また、2006年と2009年に、同市周辺の町村と市町村合併を行っており、
かなり広域な市域を形成しています。

気仙沼市の被災状況

沿岸部から平野部が津波により被害を受けており、平野部は更地になっていました。
海岸から内陸に1.5km程度離れた気仙沼市内にガソリンスタンドがありましたが、
その場所でも地上から150cm〜160cm程度の高さまで浸水の跡が残っており、
周辺には津波により流されてきた瓦礫の山が、散見されました。
同市を流れる河川も津波が遡上しており、河川敷にボートや瓦礫が流れ着いている状況でした。
ただ山間部では、建物被害はほとんど見受けられず、
家屋のブロック塀が倒れているという状況は見受けられませんでした。

気仙沼市役所は、市庁舎別館(建物名称:One10)の1階部分が被災していました。
市役所の1階部分には社会福祉関係の部署が入居していたようです。
市役所本館は高台にあり、津波被害は免れていました。
社会福祉協議会も3階建ての内、2階部分まで水没しており、
社協の公用車ならびに職員の自家用車も、ほとんどが流失している状況でした。

また沿岸の化学プラントから油が流出しており、地震発生当時は火災が発生していました。
鹿折唐桑駅の駅舎も火災により、骨組みのみしか残っていない状況でした。

気仙沼市のライフライン被害状況(3月17日時点)

電力は山間部の一部で復旧していたが、市街地は停電していました。
電力供給を行っている変電所が甚大な被害を受けている模様です。
当面の間、復旧できないのではないかとの話もありました。
水道については、下水処理場が壊滅的な被害を受けており、依然として断水していました。
井戸を保有している家屋では、ポンプなどで井戸水をくみ上げて使われていました。
プロパンガスを使用している家屋が多く、プロパンガスについては使用できる状況でした。

住民の様子(3月20日時点)

丘の上に総合体育館があり、地震発生当時は1500名ぐらいが避難していたようです。
現在は同市内の約100ヶ所に避難所が開設されているようです。

気仙沼市社会福祉協議会の方と2名1組で計5つのグループを作り、
市内を巡回して、住民の方から要望を聞いて回りました。
個人的な感想としては、過去の地震と照らし合わせると
感覚的にはまだ地震発生から3日目と同じような状況で、食料の配給が届いていないため、
1日3食を食べることが出来る避難所はわずかであり、
多くの避難所は1日2食で、炊き出しなどにより自助努力されている状況でした。
ただし、今後は急速に改善されていくように思われました。

行政の指定避難所に限らず、集会所、お寺、個人宅など、
場所があればどこへでも避難されているという状況でした。
特に個人宅に避難している場合、下水の汲み取りも十分に出来ていないようでした。
市役所では、当時判明していた市内98ヶ所(3月20日時点)の避難所の位置を
地図にマッピングしていました。
しかし全ての避難所に支援が行き届いているわけではありませんでした。

指定避難所の体育館では、段ボールによる間仕切りは無く、
卓球のネットなどを使用しているのはまだ良いケースで、多くは全く間仕切りが無い状況でした。
個人の避難所でも、家屋周辺の空き地などに自らテントなどを貼り、避難している状況でした。
十分に運営が出来ている避難所であれば、仮設トイレなどもありました。

住民の方へ聞き取り調査では、あるヘルパーさんから、
「職場も家も、同じような状況で大変。過労気味になっている。」との話を伺いました。
また別の方からは、
「4階建て以上の黒い波が襲ってきた。車も家も小枝のように巻き込んで流れてきた。
この地域で一番大きな水産加工場で働いていたが、加工場も港も船も家も失った。」
「近所の方から家が残ってよかったねと言われるが、1階部分は水没しており、
内部は泥だらけで、住める状況では無い。」などの話を伺いました。

今の時期、夜半には気温が0度前後になるため、暖房が無い避難所は極めて寒く、
地元の工務店から発電機などを持ち出して避難所で使用しているが、ガソリンが無いので、
朝と夕の1時間だけ動かしている状況でした。

市営・県営団地では、建物が無事であったため、ライフラインは停止しているものの、
多くの方が自宅に留まっていらっしゃる状況でした。
しかし、自宅生活をしている方の元へ、救援物資などの支援が届いていない状況で、
周りから声をかけにくく、自宅内の被害の状況が見えないなど課題が多くありました。
一部店舗が営業を再開している様子でした。
応急危険度判定はまだ実施されておらず、
ひび割れのある自宅で生活されている方も多くいらっしゃいました。

3月20日頃までは飲食物と安否確認に関するニーズが多くありましたが、
3月21日頃には衛生面などへニーズがシフトしていっているように感じました。
市内でも、治安が悪いという噂が流れており、かなりピリピリしている雰囲気もありました。
強盗殺人があったとなどいう流言飛語もありました。
実際に自宅から現金・通帳がなくなっていたケースもあるとのことです。

石巻市の様子

石巻市内では、石巻専修大学に災害ボランティアセンターが開設されていましたが、
まだ十分に機能していない様子でした。
電力は一部で通電しているものの、やはり一部地域では治安が悪いと感じる機会もありました。
被害を受けている地域では、家屋周辺にプロパンガスのボンベが転がっているケースや、
浄化槽やマンホールの蓋が無く地面に穴が空いているなど、大変危険な場所も多くありました。

住民の方は、御位牌、家財道具、ご家族を探していらっしゃる方も多く、
瓦礫の山の中にも、まだまだご遺体がある様子でした。
地震発生から1週間〜10日前後経っても、電話が繋がらず、
被災地域内でも安否が分からないという状況がありました。

今回訪問して感じたこと

「とにかく寒い」「食事が不自由」「トイレも遠慮する様子」「水がなく、不衛生」
という状況がまだ多くあります。
全体的に人手不足であり、特にボランティアのコーディネーターが足りておらず、
在宅ヘルパーなどの職員は限界に近い状況でした。
今後の生活環境や衛生面の改善、瓦礫の片付けをどうするのかが今後の課題であると感じました。

報告3:「津波被害の状況について」16:15〜17:00
報告者:宇田川規夫 氏(国際救急法研究所)

防災ユースフォーラムの岩崎さんと入れ替わる形で、数日後に気仙沼市を訪問しました。
やはり、海抜が低い地域では、津波被害が甚大であり、瓦礫などが多く散乱している状況です。
津波の高さが10mを越えている地域もありました。
3階建てのビルの屋上にも瓦礫が残っていました。家が丸ごと運ばれてきたような状況もあります。

海抜が低い地域では、内陸方向へどこまでいっても津波の瓦礫が散乱している風景が続いており、
上り勾配の坂にさしかかると、急に瓦礫が無くなり風景が一変します。
わずか10cm〜20cmの標高の違いでも、被害状況がまったく異なっています。

ただ、気仙沼市は震源に近い地域あるにも関わらず、地震の揺れによる被害は少ない印象で、
沿岸部では、まさに津波による被害が中心でした。
気仙沼市は火災よる二次被害も深刻でした。

現地で気になることは、冷凍倉庫の中に保管されていた魚が町の中に散乱しており、
今後、それらの腐敗が始まると衛生面で被害が生じてくると懸念しています。
また、仮設トイレや空き地に穴を掘って仮設トイレを作られているケースが多く、
今後暖かくなると、悪臭や衛生面については早期に問題になり、対策が必要であると思っています。

既に市内の小売店などの営業が再開しており、地元の経済的な復興をどのように支援していくかが
課題となってくると思います。
物資や精神面の支援と同時に、経済面の支援も必要だと思います。

特に主な産業である水産業は、水産加工場が地域の障がい者の働き場であったため、
生活面の復興をどのように支援してくかが課題であると思います。

ガソリンスタンドでの給油は長蛇の列ができており、このために緊急車両の通行を阻害するという
問題も発生していましたが、給油状況はめまぐるしく変わっており、
今後の供給状況により変化していくと思います。


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